[カテゴリー:日々是哲学]
{つぶやき:非合理性を一般的に、問いの答えの性質として理解できるということを示したたかっただけなのですが、非合理な答えを、合理的な答えに矛盾する不合理なものと、合理的な答えと矛盾しない非合理なもの(狭い意味の非合理なもの)に区別してから、なかなか「狭い意味の非合理な答え」の具体例に辿りつかなくて長くなってしまっています。}
問いに対する答えが、正当化と無縁であるとしても、適切/不適切の区別を持つとしたら、適切な答えは、合理的だといえるだろう。
では、問いに対する答えが適切であるとは、どのような場合だろうか。
<問いに適切に答える>ことは、少なくとも次の二つを意味するだろう。
第一に、ある発話が、意味に関して、問いに対する答えとなっていること、を意味する。
例えば「あなたは何を食べますか」という問いに、「彼はそばを食べます」とか、「私は学生です」と応答することは、問いへの答えになっていない。寿司屋さんに入って「何にしますか」と問われて「天津飯をください」と答えることも不適切である。(最後の寿司屋の例は、意味に関して不適切なのか、事実に関して、不適切なのか迷うところである。この不適切性は、問答が行われる状況に依存しているが、意味と状況を分離しないならば、この不適切性は、意味に関するものである。このように曖昧な事例はあるかもしれないが、おおよそ、答えの適切性を、意味に関する適切性と、事実に関する適切性に、分けることができる。)
この条件を充たさない答えは、そもそも答えであるとは言えない。したがって、不合理な答えでも狭い意味の非合理な答えでもない。
第二に、問いQ1には、より上位の目的(より上位の問いQ2に答えること)があり、Q1の答えA1が、より上位の目的の実現に役立つものになっていること、を意味する。
例えば、飲食店で「何にしますか?」と問うとき、店員は、注文をとって、それを作って、提供して、お金をもらう、という目的を持っている。それゆえに、お店に天津飯がないときに、「天津飯をください」と言われても、店員のより上位の目的を実現することはできない。この答えは、不適切です。お店に天津飯があれば、この答えは適切です。
問いの答えが上の二つの意味で適切であるとき、その答えは、合理的だと言えるでしょう。
これまで述べた問いの答えの合理性には次の3種類がありました。
①真であるという意味での合理性
②正当化されているという意味での合理性
③適切であるという意味での合理性
これらに対応して、次の三種類の不合理性があります。
偽であるという意味での不合理性
間違って正当化されているという意味での不合理性
不適切であるという意味での不合理性
問いの答えが合理的である場合と不合理である場合を、このように3種類に区別できるとするとき、問いの答えが、「不合理性」とは異なる「狭い意味の非合理性」を持つ場合は、あるのでしょうか。それはどのような場合でしょうか。